管理人が漫画の考察に慣れていないので間違った解釈をしている可能性があります。それでもよいと思える方だけ目を通してください。
以下ネタバレ注意
ゲームの結果
1周目
由乃が神になる
2周目
雪輝が神になる
3周目
3周目の由乃が1周目の由乃の記憶を与えられ、雪輝の時空に乗り込んでいき最後に二人で星を見る。
1周目について
本編では描かれていないので詳しい事は分かりませんがこの時点ではユノはユキテルを「ユッキー」ではなく「天野君」と呼んでいたようで、深い関係ではなかった模様。
2周目について
未来日記の本編。ここからが肝心なところで、由乃が両親を殺害していますがこれは「両親を殺した」=「良心を殺した」とかかっています。
また、雪輝の両親も片親だけ死んでおりこれはつまり「両親が半分死んだ」=「良心が半分死んだ」となります。
そしてさらに重要なのは、1周目の由乃は2周目の由乃を、つまり自分自身を殺していますがこれは「自分を殺した」=「自分を押し殺した」という暗示に他なりません。
上に見た通り、「未来日記」とはかの「好き好き大好き!」のテーマに近い、「由乃と雪輝の恋愛物語」と言えます(1周目由乃と2周目雪輝)。
そして最終巻において由乃は雪輝を殺さずに自分を殺します。
これは1周目の自分が2周目の自分を殺したのとは意味が異なり、相手のために死ぬという愛の形です。
また雪輝も自分を刺せと言った事から同じ結末を迎える覚悟がありました。
これにより雪輝が神になりますが、この時点で由乃と雪輝の両方が一度は神になった事になります。
これにより二人とも神(本編の定義より時空と空間に縛られない存在)となり、ハッピーエンドの条件が整います。
ちなみに最終巻の「私は刺さない。そういう未来だもの」(178ページ)という台詞は1巻56ページの「あなたは刺さない。そういう未来だもの」と対比しているようです。
これは前者では未来を固定されているものと捉えているのに対し、後者では未来は人の意思によって変わるものだと捉えています。それがラスト付近で由乃が「ユッキーを刺す」という未来を「自分を刺す」に変えたことからも見てとれます。
3周目について
我妻由乃が自分の意思で自殺をした時刻は、由乃の未来日記では7月28日の5:00ちょうどになっています。これに対しユッキーの未来日記では7月28日の4:57です。この時間差がなんなのかを解く鍵は単行本1巻にあります。ユッキーに初めてDEAD ENDフラグが立った場面での時刻はユッキーの未来日記が18:21なのに対し、由乃の未来日記では18:20です。この時間差は最終巻で由乃の死亡寸前まで変わりません。これが変化を起こすまでに様々なことが起こりますが、恐らく原因となるのは由乃が「私はここに残るわ」と言い放つこと。恐らくではありますが、時間差は周回差ではなく”生きた年数の差”。言ってしまえばユッキーと由乃の”ズレ”です。「私はここに残るわ」と言う発言で1周目の由乃と3周目の由乃が同化する未来が確定し、3分ユッキーの方が早い時間になるのだと思います。具体的に言えば、3周目の由乃がユッキーを迎えにくるのはあの時点から2年後です。そして3周目の由乃から見てユッキーは2周目の分で1年長く生きています。この2年と1年を足して3という数字になったと考えるのが妥当か。それを裏付けるような伏線として、全てが始まった1-Bの教室にユッキーは由乃を匿い、「ここで待っててね由乃」と発言します。更に由乃が「ユッキーのことが好き。死んでも」と発言するのも同様。これによりズレていた二人の時間が合致し、二人で生きていく未来を暗示しているのと同時に、3周目の由乃=1周目の由乃だということを表していると思われる。そして由乃がユッキーを迎えにくるわけですが、恐らく3周目の由乃はゲームをすることなく神(時間と空間を統べる存在)となったと考えるのが妥当か。ちなみになぜタイムリープしたのが2年前なのかというと、ユッキーと由乃が一緒に星を見る約束をするのが1年前でその前でなければならないから(でなければ3周目のユッキーとのフラグが立ってしまい、ずっと側にいてくれることが大事だという作者の主張が成立しなくなる)。
未来日記における家
小説などでは家や部屋がその住人の心を暗示したものになります。未来日記でもその手法が用いられており、由乃の家が荒れ果てていることから由乃の心が荒んでいることを、由乃の部屋の穴が記憶の欠落を表しています。そして同じことがユッキーにも言え、最後に家の窓を割ったときの由乃を思い出しているのはそのためです。
未来日記での恋愛観
1周目から、ただの依存では報われないことが描かれています。2周目にして由乃の片思い。3周目にして由乃がユッキーを好きだと素直になり、これでようやく結ばれます。また、秋瀬或の存在によって同性では結ばれないという事を示唆。
未来日記の世界
この「未来日記」という作品において一番のポイントは、恋愛を描いているのにも関わらず最終的に生き残るのはただ一人という点にあります。
作中、由乃が「おかしいのは、ゆっきーと私が結ばれないこの世界のほうよッ!!!」という台詞を残していますが、これが一番的を射た「未来日記」の世界観でしょう。まとめれば「自分のために他人を殺す」のがこのサバイバルゲーム。なぜ由乃が飛びぬけた存在なのかは「他人(ユッキー)のために自分を殺す」、ゲームから外れた存在だから。そしてこれこそが物語をHAPPY ENDに導く鍵です。ユッキーも同様にラスト直前で「他人(由乃)のために自分を殺す」存在になります(由乃に対して自分を刺せという発言から)。これで二人ともゲームを外れた存在になり、ハッピーエンドを迎えるわけです。
未来日記のテーマ
「未来日記」のキャラクターの名前はオリュンポスの十二神の名前を元にしています(神を人間として描いていると捉えた方が妥当か)。
また、”未来は変えられる”という根源的設定、全能でない神、そして恋愛を描きながらもただ一人しか生き残れない歪んだゲーム性に対する結末から人間賛歌の意を含めている可能性大。
由乃の「依存できれば誰でも良かった」は本音なのか
「依存できれば誰でも良かった」という台詞を作中由乃は残していますがこれは本当とも言えるし嘘とも言えます。
これは聡明な由乃の中での「恋愛観」であると同時に、恋愛に対する問題提起でもあると思われます。
これは相手に対しても同様であり、「あなただって、守ってくれる人間なら、誰でも良かったはずよ」と雪輝に自分ではない少女が隣にいる世界を与えました。
しかし実際は9thの「失恋でもしたみたいじゃねぇか」というような台詞に表されるようにこれは本音とは言い難いもの。
ここで由乃は9thになぜ雪輝の味方をするのかと問います。
それに対し9thは鳥はなぜ飛ぶのか自分で考えてると思うかと返します。
さらに「素直に人を愛せないお前が哀れだ」とも。
ここで、例の鳥は単行本9巻での「ムクドリ作戦」と照応しています。
これから分る通り、「依存できれば誰でも良かった」とは由乃の考えであり本心ではありません。
そして後に由乃は自分の心に素直になり「ユッキーが好き」だと胸を張って言います。
これが未来日記という恋愛物語の一つの終着点でもあります。
雪輝の気持ち
「あなただって、守ってくれる人間なら、誰でも良かったはずよ」と由乃に断じられた雪輝ですが、それを否定します。
理由は「ずっと側にいてくれたから……」。
これが雪輝の気持ちであると同時に由乃、そして全ての恋愛に対する回答でもあります。
星を見ることの意味
物語の終着点は”星を見ること”です。
これは何なのかというと恐らくですが元は雪輝が家族全員で約束していたもので、由乃と一緒に星を見ることは由乃と家族になった(由乃と結ばれた)というハッピーエンドの暗示。2巻での雪輝と由乃の恋人になるという約束と照応。